ここっちライフ

運氣UP!風水でパワースポットは誰でも創れる

立春を迎えて私チェンジします

約4分

立春を迎えて私チェンジします

風水と片付けで誰でもできる
パワースポット創りと運氣アップ!
開運&50代からの快適介護lifeアドバイザー春風ほの香です。

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「立春」を迎え、私チェンジ!します。

今までお話したことがなかった家族のことをお話しします。
私みたいな経験をしていて辛いと感じてる人がこのブログを読んで少しでも気持ちが軽くなってくれればと思います。

家族のことをお話しします

実は私の夫、現在「要介護5、全介助なんです」

平成29年、娘の結婚式が終わって一週間後に突然倒れ「二日間がヤマです」と運ばれた病院で言われ、何が何だかわからない状態でした。
本来なら泊まることができない手術の時に使う家族控室に待機。
今思えば、本当に危ない状態だったんだと思います。

なんとかヤマは超えたものの、気管切開をしたため話すことができません、とりあえず瞬きで意思表示はしてくれたのでひと安心することができました。

しかし、集中治療室から一般病棟に移ったときに感じたのは「目は開いてるけど目が見えてない?」「でも、一時的なのかも…」

そんな不安が後日、主治医からの説明で手足の麻痺と目が見えおらず回復も見込めないだろうとの説明。
はっきり言って絶望的な言葉でした。

しかし、少しずつでもリハビリが始まりリハビリを重ねることで、ほんの少し右手でなんとかバイバイができるようになりました。
出来る様になるまでに約3か月かかりました。

入院から3か月、病状も少しずつ落ち着いた頃、回復期の病院か施設へ移らなければならないと言う事で、少しでも可能性があるのならと、回復期リハビリテーションのある病院へと希望しました。

しかし、症状が重いため受け入れてくれる病院がなかなか見つからず、そんな中一つの病院から受け入れ可能の返事があり、連絡があった病院へ急いで話を聞きに行きました。

リハビリ病院ではどんな事をするかいろいろ説明を受け、年明けに転院することになりました。

転院当日は、私の実家の母が手伝ってくれました。(今もいろいろ手伝ってくれます、感謝)

転院、目が見えてない主人は家族以上に不安だったと思いますが。
看護師さんの声掛けのおかげでその不安も徐々に減ったように感じられました。

リハビリの様子もたまに見ることがあったのですが、動かない体を動かす事はとても見るのが辛い状態で、私がいると甘えが出るのでなるべくリハビリの時間は避けて病院へ行くようにしました。

でも時間がたまたま重なった時は、柱の影から隠れて見てました(子どもがはじめて幼稚園に行った様子を見る感じ)

しかし、順調にリハビリも進んできたかなと思うと調子が悪くなり、救急で運ばれた時の病院へ再入院を何度か繰り返しました。

そのおかげでと言ったらおかしいのですが、リハビリの病院に長く居ることで、気管切開の器具を取り外すことができ、食事も経口食になり会話もできるようになりました。

脳梗塞になるとよく話すことが出来ず家族も意思疎通に困ると聞きますが、主人は話す事には何も後遺症がなく、しっかり受け答えができたので看護師さんとも冗談を言ったり、昭和歌謡を歌ったりしていました。

そんな姿を見ると大きな病気をすると性格が変わると聞いたことを思い出し、元気な時の主人は必要以上に話したりしない人「職場でコミニケーション取れてるのか」と子供と話すほどだったので、私も子供達もビックリびっくりでした。

職場の人がお見舞いに来てくれたら、ずーっと仕事の話するし、今まで見た事のない主人の姿を見ることができました。

ある程度症状が安定してきたら公的機関にいろんな手続きに行くように指示され、仕事の休みの日はとにかくいろんな手続きに動きまわりました。

私の前職(市役所勤務)の職場に一市民としていくという不思議な気持ちでしたが、行く先々で知り合いがいるとすごく心強かったです。

リハビリ病院のおかげで右手の動きはだいぶスムーズに動くようになり、経口食になりご飯をおにぎりにしてもらい右手に持って食べれるようになりました。
あとは、足の力をもう少し強化のリハビリまでになったころ、次の施設を探すか在宅か決めないといけないという時期が近づいてきました。

次の施設を探すのも悪戦苦闘。
この続きは次回に続きます。

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